Interview: Andrew Lampert (Japanese)
アーティストであり、映像のアーキビストでもあるアンドリュー・ランパートは、映像作品をいかに呈示するか、それをいかに保存するかという課題に正面から取り組んできた。複合的な構造を持つメディア・アート作品の呈示と保存には、デジタル対アナログ、パフォーマンス対インスタレーション、イテレーション〔同じ作品を展示のたびに別の形で展開すること〕による作品の生の更新、作品の呈示とアーカイバルな素材、記録の重要性といった多様な側面があるが、今回のインタビューを通じてランパートは、そのそれぞれについて、エクスパンデッド・シネマのリサーチを進める私たちのチームに素晴らしいフィードバックを提供してくれた。このインタビューは、ジュリアン・ロス、足立アン、平沢剛によって、ニューヨーク大学で2017年3月9日に実施されたものである。
アンドリュー・ランパートへのインタビュー:決定の権限は誰にあるのか?
「すると、どうしても次のような問いが首をもたげてきます。ある作品を展示することは、アーティスト自身が不在でも可能なのか?ある種の物事について、本人の死後に決断を下す権限を持つのは誰なのか?キュレーターか、アーティストか、それとも両者の混合なのか?」
「1969年のディスコに近似したものを2018年のミュージアムに見出そうとしても、そこには相当な差異があります。かつてシネマ的でもアート的でもないスペースにあったものが、いまでは公的機関に置かれているわけですから。そしてまた[もうひとつの理由としては]、そのような変更によって、[作品の]役割や機能自体も変化するのです。そうなれば、再演といっても歴史的な制約を受けたものになるわけですね。このことが、〔再演の〕空間をめぐる問題の核心にあります」
アーティストであり、映像のアーキビストでもあるアンドリュー・ランパートは、映像作品をいかに呈示するか、それをいかに保存するかという課題に正面から取り組んできた。複合的な構造を持つメディア・アート作品の呈示と保存には、デジタル対アナログ、パフォーマンス対インスタレーション、イテレーション〔同じ作品を展示のたびに別の形で展開すること〕による作品の生の更新、作品の呈示とアーカイバルな素材、記録の重要性といった多様な側面があるが、今回のインタビューを通じてランパートは、そのそれぞれについて、エクスパンデッド・シネマのリサーチを進める私たちのチームに素晴らしいフィードバックを提供してくれた。このインタビューは、ジュリアン・ロス、足立アン、平沢剛によって、ニューヨーク大学で2017年3月9日に実施されたものである。尚、このインタビューはCCJのJapanese Expanded Cinema研究の一環です。
Part of:
JAPANESE EXPANDED CINEMA RESEARCH THREAD
平沢:18台のスライド・プロジェクターを使ったシュウゾウ・アヅチ・ガリバーの作品《シネマティック・イリュミネーション》のために、私たちはアナログからアナログへの(スライドからスライドへの)デュプリケーションを実行したほか、デジタル・コピーも制作したんです。
ランパート:デジタルのスライドとなると別物ですね。でもそれが既存のものとして手元にあれば、使用の検討もありえるということでしょうか?
平沢:そうですね。デジタルはひとつの可能性としてあります。理想的ではありませんが。
足立:作品の呈示におけるデジタルとアナログの対決は、私たちとしても伺いたかった論点のひとつです。
ランパート:現在、[映像作品の]保存のためにもっとも誠意のある対処方法は、物理的なアナログ・コピーを用意することです。ネガ、インターネガ、デュープ・ネガ。とはいえデジタルも、しばしばプロセスの一部に含まれてきます。常に100%純粋な「アナログからアナログ」というわけにはいきません。最終的にデジタル・マスターに行き着いたら、それを放棄する人はいないわけです。デジタルなら7~10年は大丈夫かもしれませんが、その頃にはまた別のフォーマットが生まれているでしょうね。この先、4K以上のものが出てきます。32Kか、さらにもっと上か。そうなると[現在のデジタル・フォーマットの]厳密な高解像度化は無理でしょう。でもアナログなら、保存ができるとすれば、そこからまた新しく作ることもできるはずですよね。理想はエキシビション・コピーの一式をいくつか作ること。誰もが十分な資金を持っているわけではないですが。作品ごとに保存用のマスターがひとつ、ポジプリントのコピーがいくつかあって、すべてきっちり保管されていることが理想です。人気のある作品なら複数のネガを作って、そのうちのひとつをプリント専用にしたりとか。
いずれにせよ、作品を実際に呈示するとなれば、考慮すべき現実的な問題が出てきます。ミュージアムとか公的機関はインフラ的にも能力的にも展示作品の持続的な管理ができるはずなので、そのような場では35mmスライドを使うべきです。ギャラリーで一ヶ月間ずっと見せるのであれ、フェスティバルで一晩だけ見せるのであれ、ふさわしいマテリアルを使って、ふさわしいスタッフによるふさわしい注意のもとでやるべきです。でも本当は、日本のどこかの村とか、カンザスのど真ん中とか、誰もこういったものを見たことがない――16mmの映写機など1台もなく、スライド・プロジェクターが2台あるわけでもない――場所でこそ、この種の作品は人目に触れるべきなんです。そういった場所なら、デジタルも検討されるべきです。フォーマットが変わることで差異やバリエーションが生まれるわけですが、私にとって重要なのは、展示状況に関する文書を通じて、それがしっかり伝わっていくことなんです。変更それ自体を作成したのは誰なのか、その変更の責任者と帰属先のことです。誰がその変更をもたらしたのか?壁のキャプションや映像の冒頭のタイトル画面に明記されていなくても、その情報は必ずどこかにあるべきです。どのくらいの変更が為されたのか?その明示が重要なんです。
そしてまた[同じく重要なこととして]、エクスパンデッド・シネマの作品をアナログで呈示するとき、まったく同じパフォーマンスにすることは不可能です。たとえインストラクションが用意されていても。とにかく最善を尽くすのみです。デジタルでも、まったく同じ[パフォーマンス]にはなりません。完全なクローンを生み出せるわけではないから。ファイル自体は同じだとしても、プロジェクション画面のあり方は同じではないし、全体の呈示の仕方や部屋の様子も異なります。だから、どんな作品であれ展示において重要なのは、明文化されたインストラクション、仕様書、前回までの記録、そして過去の見せ方を証明する資料が作品に付随していることです。この世を去ったアーティストの古い作品を、当時まだ生まれていなかった、あるいはその場に居合わせていなかった若い世代がいまあらためて見せようとするとき、最大の難点は、最近の若者たちがキュレーターに特権を与えすぎてしまうことです。キュレーターたちは、自分の展覧会のビジョンあるいはゴールに適合させるため、相当な変更を作品にもたらす傾向があります。そんな場面を何度も見てきましたよ。私はそれを問題視しています。うまく機能する場合もあるけど、大体はそうならない。とにかく、変更点が明確に伝達されること、それが私にとって何よりも重要なことです。
18台のスライド・プロジェクターによる作品はぜひ私も見てみたいのですが、とはいえあなたが指摘したように、それに見合った空間を持つミュージアムは限られていますよね。テイト(Tate)でいえばザ・タンクス(The Tanks)の空間なら素晴らしいかもしれないけど、2階のシアターの空間は微妙かもしれません。やはり、大事なのは背景となる情報や環境を詳しく書き記すことです。その作品はいかに呈示され、フレーミングされるべきなのか。
私がこういう考えを持つのは、エクスパンデッド系の作品に限ったことではありません。昨年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)でロバート・アルトマンを回顧する企画があって、彼の全作品が上映されていたんです。それで、ある晩、《ナッシュビル》(Nashville)を見に行こうかなと思ったんですね。何年も見ていなかったから。でもカレンダーをよく見ると、上映されるのはDCP[デジタルシネマパッケージ]版だったのです。DCPなんて見に行くもんか、プリントで見たいんだよ、そう口に出ました。アンソロジー[アンソロジー・フィルム・アーカイヴス(Anthology Film Archives)]では35mmのプリントで見せていたのに。たしかBAM[ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(Brooklyn Academy of Music)]でもそうだったはず。私だって、DCPでもまあいいやと思うこともあります。でもこの場合はどうしてもDCPでは嫌でした。いくつかフィルムのコピーが存在していることを知っていたので。あの映画を見るか見ないか、MoMAはフォーマットを明記することで選択肢を与えてくれたわけで、それはとても興味深いことだと思います。[MoMAの展示を]見に行くならいまですよ。ナン・ゴールディンの《性的依存のバラッド》(Ballad of Sexual Dependency)が展示されているので。スライドに関する観点から考えると、とても魅力的な作品です。発表の形式が本当にいろいろあって。スライドショーとして示されることもあれば、むかし私が見たようにテント内で呈示されることもある。それがいまはMoMAで、また異なる形で呈示されているわけです。
このような作品については、こういう言い方をすべきですね。それぞれに異なるイテレーションがあるのだ、と。同一の作品であっても、異なる形で戻ってくるのです。マルコム・レグライスの《ホラー・フィルム》(Horror Film)は、レグライス本人によってパフォームされるたびに――そのような場面の写真をインスタグラムで見かけたばかりなのですが――実行の仕方や空間のあり方が変わります。基本的な原理は同じなのですが。彼自身ではなく、他の人がこの作品をパフォームしているのも見たことがありますよ。すると、どうしても次のような問いが首をもたげてきます。ある作品を展示することは、アーティスト自身が不在でも可能なのか?ある種の物事について、本人の死後に決断を下す権限を持つのは誰なのか?キュレーターか、アーティストか、それとも両者の混合なのか?
足立:ここに来る直前に私たちが話題にしていたのは、[エクスパンデッド・シネマのアーティストたちの]作品を売ることについてでした。作品がひとたびアーティストの手を離れたら――たとえば、あなたならどうしますか?
ランパート:そうですね。《遅さのバラエティ》(Varieties of Slow)というパフォーマンスをホイットニーに売ったことがあります。2004年から2005年にかけての冬に制作した作品です。スーパー8フィルムのリールが3本。1本は白黒、1本はカラー、1本は赤い色味。どのフィルムにも本棚に並べられた書籍のイメージが映っていて、すべての書籍のタイトルに静止および光に関する言葉が含まれています。ポラロイドについての本、アンリ・ミショーの《暗闇を貫く光》(Light Through Darkness)、とにかくそういった言葉が列を成しているわけです。フィルムが手元に戻ってきたあと、この作品をパフォームする方法として、17種類のバリエーションを書き留めました。互いに異なる、幅広いバリエーションです。この作品は、私のアパートを会場として何度かパフォームしました。当時はプライベートなショーを沢山やっていたのです。ひとりふたりの観客だけに向けて作られた作品ばかりでした。あるいは空間的に、私は隣の部屋で何かをやっていて、観客は向こう側に座っているとか。どの作品も空間にあわせて仕立てをかなり変えていました。[2006年のホイットニー・]ビエンナーレには「バージョン#3」を出品したのですが、実際にパフォームしたのは3回で、それぞれ8時間のパフォーマンスでした。2008年にまた呼ばれたたときは、1ヶ月の会期のために「バージョン#4」をインストールしました。16mmに引き伸ばしたバージョンで、使った映写機は3台です。どのように進めたかというと、映写を担当するホイットニーの係員のもとに、毎日その日にやるべきことのインストラクションが送られるようにしたのです。それは格子状の一覧表になっていて、映写機1、映写機2、映写機3という項目、そして時間が書かれています。1時になったら映写機2のレンズを50mmから25mmに変えること、4時になったら映写機3の前に赤いフィルターを重ねること。レンズのところでさまざまな動作が行われることになっていました。フォーカスも変化させたり。室内には、ほかに三脚に乗せられたスクリーンが4~5枚あって、絶え間なく動いていました。さらに、背後の壁にはカーテンが被せられていて、それをめくり上げると白い壁がスクリーンになる仕掛でした。カーテンのめくり方もインストラクションに書かれていて、3/4めくる、1/2めくる、というように段階的に設定されていました。何を狙っていたかというと、つまりこういうことです。観客は、展示室に入っても、全体を3秒ほど眺めただけで「ふむふむ」と言って立ち去るかもしれません。でも、それから1時間くらい後に戻って中を覗くと「あれ、さっきと違う」となるわけです。そのままそこに留まれば、作品が漸進的に変化していくさまを目にすることになります。つまりそれは、インスタレーションの形を装った、一ヶ月間のパフォーマンスだったのです。
すると後日、クリシー・アイルス[ホイットニー美術館のキュレーター]から、この作品を収蔵したい、購入したいと言われたんです。そのとき彼女に尋ねたのは、要するに何が欲しいんだ?ということでした。最初に渡された契約書は、絵画作品や彫刻作品用の契約書と基本的に同じ体裁だったので。ビデオ作品やフィルム作品用ですらなく、通常の収蔵で使われる同意書そのままだったんですね。そこから、彼らの手元に作品として何を渡すか、年単位の時間をかけて見極めていきました。「#3」はスーパー8のバージョンなので、渡すことができません。スーパー8のバージョンではカメラで撮影したフッテージをそのまま使っているし、映写機自体も特別な映写機で、1秒あたりのフレーム数が18、12、9、6、3と変えられるのです。スーパー8バージョンは8時間つづくわけですが、その全体を通して、フレームレートは変化していきます。この作品の呈示には必ずフィルムが使われなければならないし、スーパー8バージョンのためには必ずこの3台の映写機が使われなければなりません。彼らにスーパー8を売るとなったら、3台の映写機も売ることになってしまいます。そうなると、この作品は私の手元から失われることになるんですね。頻繁にパフォームする作品ではありませんが、私の手から離れて、永遠にホイットニーの地下に眠らせるのは嫌でした。でも16mmバージョンなら話は別です。彼らにはプリントのセットを売りました。3セットか4セットだったと思います。16mmのインターネガは渡していません。死後に寄付することも考えると伝えましたが、とりあえずは自分で保持することにしました。もしもこの先、彼らが追加のプリントを必要としたら、フィルムが残っているかぎりは提供するつもりですし。フィルターについては、展覧会で使ったものを渡しました。そのまま使ってもいいし、それを参考に自分たちで新品を買ってもいいわけです。この作品については、大量のメモを渡しました。包括的なインタビューを通じて、関係するさまざまなパラメーターについて擦り合わせたんです。空間のあり方についても規定しました。空間の大きさというよりも、どのくらい暗くするべきか、椅子とスクリーンはいくつ必要なのかといったことですね。そしてまた、彼らが購入したのはあくまでもひとつのバージョンであり、全17種類ではないということも明確にしました。
契約書にはいくつか特別な項目を加えさせてもらいました。ひとつは、再演の機会があるなら、そのときはパフォーマンスの実行者の候補としてまず私に声をかけるというものです。私にはそれを辞退する権利もあるのですが、その場合でも、ほかの[特定の]誰かを最初にリクエストする権利を持ちます。もうひとつは、この作品をパフォームできるのはアーティストだけであるということです。キュレーターはパフォームできません。キュレーターには、パフォーマンスに関する日々の決断を下すことが許されないのです。担当するアーティストは、すべてのメモに目を通さなければなりません。それには、以前の展覧会のときに書かれた、連日のメモも含まれます。そして、何が起こりえるのか、何が起こるかもしれないのか、何が足りておらず、どのくらいの変化が起こりえるのか、その変化はどのくらいの頻度で起こるのか――それらのパラメーターについて徹底的に考えることです。ここで、キュレーターにはどんな役割も担ってほしくありません。アーティストがスタッフと直にやりとりしながら取り組むことを望みます。ミュージアムのスタッフが自分たちだけで取り組むのではなくて。もうひとつ伝えたのは、私が死んでこの世から消えたとき、この作品についてすべきことやその仕組みなどについて家族に尋ねることはやめてほしいということです。 彼らは現場に居合わせておらず、作品を見ていないのですから。これまで、[アーティストの作品との]接点が皆無だったにも関わらず、さまざまな思い込みを持つ相手[相続人]とやりとりする機会が多くありました。私の娘が、まだ自分が生まれてもいないときに父がやったことについて、誰かに勝手な講釈をたれるのは嫌なんです。単純に意味不明ですよね。とにかく、この作品に関して彼らが知っておくべきすべてのことは、いろいろな書類で構成されたあのバイブル、あの仕様書に書いてあります。
[この作品を]デジタルに変換するのは無理です。理由のひとつは、3台の映写機がそれぞれ違うフレームレートで動くことですね。1台は16、1台は18、1台は24。さまざまなプロジェクトで、スローモーションの映写をデジタルな方式で再現することを試みましたが、好きになれません。少なくとも私の作品でそれをやるのは嫌ですね。それは、ほとんどピーター・クーベルカ的なことなのです。スローモーション以外ではそんな風に思わないので自分としても奇妙ではありますが、フィルムを使うしかない、そうじゃないと作品が死ぬ、という。《遅さのバラエティ》は、本をスローモーションで示すことに関する作品であると同時に、タイトルが示唆するとおり、フレームレートそれ自体をめぐる作品でもあるのです。ホイットニーに収蔵されたので、もう二度と人目に触れない気がしますね。展示室でインスタレーションとして展開される、エクスパンデッド・シネマの作品ですからね。30年くらい経てば地下から引っぱり出されるかもしれませんが。《ドリームランズ》(Dreamlands)展にも入らなかったですし。16mmの映写機さえあれば展示できるのですが、人目に触れることは二度とないでしょう。少なくともホイットニーではね。本当に期待していないんです。どんな作品でも、とてつもなく複雑なメディアが使われている場合、何も期待はできないんです。そうした作品は、最初の発表が終わってしまえば、余生において定期的に展示されることはないのです。リヴァイヴァルされる可能性はありますけど。アンソニー・マッコールみたいに、ある種の作品は新たな生を授かることがあるので。でも、古めかしい再生機器に依拠した作品は、デジタルでは意味を成しません。それは歴史的な作品であり、おそらく歴史的な作品でありつづけるほかないのでしょう。
足立:それでOKなのでしょうか?
ランパート:理想的ではないけれど、OKです。こうした問題については、パフォーマンスを呈示するという経験をいろいろと重ねるなかで、かなり考えてきました。長年にわたってかなりの量のパフォーマンスに携わるなかで、悲惨な記録資料しか残らない状況を多く見てきました。そのような状態の記録資料を作品として示したいとは思いません。とはいえ作品は、ときにあまりにも自然な成り行きで、あるいは予期しない形で現れるので、自分でも二度と同じことができない場合があります。そうなると、再現できない作品の代役として、記録資料が効果的になるわけですね。高齢になったフルクサスのアーティストたちのなかには、1960年代の自作を繰り返している人たちがいますが、いつも悲しくなります。彼らがそんなことをしている姿は見たくありません。いまでは別物なのだから、わざわざ過去に戻ってパフォーマンスをしたいとは思わないですね。2002年に自分がやっていたことに対して、いまも繋がりがあるとは感じません。過去に存在するものをいま焼き直したくはないんです。
ザ・キッチン(The Kitchin)で2晩にわたってパフォーマンスをしたことがあります。2007年、いや2008年かな。一緒にやったのはオッキュン・リーとほかの3人のミュージシャンたちでした。残念ながら、質の悪いミニDVテープの記録がどこかに残っているだけです。私たちは真ん中に位置していて、オーディエンスにぐるりと囲まれていました。ザ・キッチンによって設置された記録用のカメラが2台ありました。1台は上の方、照明やサウンドボードのあたりです。そこなら広い視野が確保できますからね。ズームが必要になりますが。もう1台は床置きで、三脚にマウントされた状態で放置されていました。上から撮影された映像はダメでしたね。見るべきものがほとんど何も映っていなくて。音声も奇妙で。その作品には対話の箇所があって、言葉が交わされていたわけですが、[テープからは]ほとんど何も聞こえず、音楽しか聞こえないんです。床置きのカメラが捉えた映像は、冒頭で私が画面の真ん中に映っていました。でも2分後にはカメラに向かって歩いてきて、カメラの前にあった簡易スクリーンを引き上げてしまいます。そこから先、テープに記録されているのはスクリーンの背面だけ。どこにカメラを配置すべきか、誰も事前に聞いてくれなかったんですね。だから映像は2分だけで、あとはひたすらスクリーンの裏側です。カメラを配置し、それに暗闇を撮影させた人は、そこで私が行うことについて何も事前に知らなかったのでしょう。私には物〔その記録テープ〕を壊す趣味はないのですが、警告くらいはさせてもらおうかな。おかしな話ですが、本当に多くの作品がこうして消えていくのです。
ロス:先日、マイクロスコープ・ギャラリー(Microscope Gallery)で、他のアーティストたちとエクスパンデッド・シネマについて議論をしていましたよね。私も拝聴していたのですが、あなたはフィルムについて、マテリアルではなく空間[の問題]なのだという考えを述べていました。ちょうど私たちは18台のプロジェクターを使った作品の展示について考えていたので、とても興味深いお話でした。当然ながら、空間の文脈は以前と違います。[そして作品も]40年前、つまり60年代の日本のものですし。[いまは]2017年の日本だというのに。[あなたは]パフォーマンスという儚い形式に取り組んできました。そしてまた、フィルムという、時間に対してパフォーマンスとは大きく異なる語り口を持つ媒体についても、経験を重ねてきました。この点について、少しだけ言葉を費やしていただけますか?アーティストとしての視点、さらにはアーカイバルなプロセスやフィルムの文脈に取り組んできた経験から、いかがでしょうか。
ランパート:どうしてこのような考えを持つに至ったのというと、ひとつには次のような理由です。これらの作品には、シネマの枠の外にある文脈、アートの文脈があります。要するにアートワールドは、そしていくつかの公的機関は、シネマを美術史に組み込みたい、美術史的な文脈に持ち込みたいと望んでいるわけです。そうなると、決まった種類の壁面に囲まれた、決まった種類の建物の内側でやりくりしなければなりません。寺山[修司]による3面マルチ・プロジェクションの映画も、タカ[飯村隆彦]の作品も、あるいはセルロイドをメディウムとして作られた作品ならどんなものでも、保存は可能です。ところがスーパー8のネガを作成することは不可能です。少なくともアーカイバルな見地から言えば。なかには「できます」と言う人もいるでしょうし、そういうラボもあるでしょう。手作業でやるとかね。でも私がいま話しているのは、確実性が検証された、アーカイバルな処理のことです。そんな技術はまだ出てきていません。そして、マテリアルを作ることや機材を買いだめすることはできても、結局は与えられた空間の個別性にぶつかることになります。1969年のディスコに近似したものを2018年のミュージアムに見出そうとしても、そこには相当な差異があるんですね。かつてシネマ的でもアート的でもないスペースにあったものが、いまでは公的機関に置かれているわけですから。そしてまた[もうひとつの理由としては]、そのような変更によって、[作品の]役割や機能自体も変化するのです。そうなれば、再演といっても歴史的な制約を受けたものになるわけですね。このことが、〔再演の〕空間をめぐる問題の核心にあります。私たちはいつも、そうした近似を試みているわけです。
こうして、必要に迫られて、沢山の物事が変化や適応を強いられます。一例として、スタン・ヴァンダービークの《ムービー・ドローム》(Movie-Drome)の再展示が挙げられるでしょう。まずテキサスで、そしてたしかMIT(マサチューセッツ工科大学)で行われ、いまはホイットニーで見せられていますが、とても貧素なやり方だと思うんです。いかに[当時の状態に]近づけるという点において、貧素な仕事ですよ。彼が使っていたマテリアルの多くは入手可能ですし、スライド・プロジェクター・フィルム、オーバーヘッド・プロジェクター、そして様々なタイプの映写機が使われていたことを知っているくせに。ホイットニーでは16mmに加えて大量のビデオが使われていますが、[1960年代]当時はなかったものです。表面的な取り繕いですよ。《ムービー・ドローム》は、[作品を経験するために]寝っ転がって見るべきもの――[《ドリームランズ》展でいえば]ベン・クーンリーの作品がそうなっていますね――なのに、ここ[ホイットニー]では部屋の一角の壁面に映像が投影されている。当時の状態については、壁面のテキストが伝えるだけです。この展示は壮観で、インスタグラム映えのするイメージなので人気を集めていますが、私に言わせれば作品として完全に失敗です。あの作品は二度と呈示されるべきではない、そう言っているのではありません。複数の映像を使った何らかのシミュレーションは試みられるべきでしょう。でもあの方法だと、やる前から失敗が運命づけられています。善かれと思って発案されたのだとしても。
この問題について考え始めた契機のひとつは、ベルリンのハンブルガー・バーンホフ[現代]美術館(Hamburger Bahnhof)で開かれた、スタン・ダグラスとクルストファー・イーモンのキュレーションによる展覧会でした。私は[ポール・]シャリッツの《癲癇発作対比》(Epileptic Seizure Comparison)をインストールするため、そして美術館の人々と一緒にバーバラ・ルービンの《地上のクリスマス》(Christmas on Earth)と題された作品を実演するため、現地に赴きました。《地上のクリスマス》は1963年の作品です。2面のプロジェクションによって、大きなイメージの内側にそれより小さなイメージが重ねられます。パフォーマンス中はカラーフィルターも使われます。ラジオも置かれていて、そこからポップ・ミュージックが流れるようになっています。いまこの作品をパフォームすると――1980年代前半にアンソロジーによって修復されたのですが、たしかコープ[フィルムメーカーズ・コーポラティブ(The Film-Makers’ Cooperative)]はそれを配給するにあたって1960年代のグレーテスト・ヒッツのCDを付けているはず――もはや懐古的ですらありますね。いまラジオをつければ、ビヨンセやドレイクやリアーナなどが流れているわけですが、この作品はまさに原ヒッピー的な乱痴気騒ぎのフィルムなので、そういう音楽だとムードがそぐわないのです。そもそも実はそのCDも、収録されているのはドアーズやタートルズなので、時期的に間違っているのですが。どの曲も、言ってみれば1963年の7月あたりのポップヒットではないんです。1960年代のヒットではあっても。ここでも時空がすでに乱れていますね。
ベルリンの展覧会は、インスタレーションおよびプロジェクションを使った作品の歴史をめぐるものだったのですが、彼らからアンソロジーに連絡が来て、この作品を展示に加えたいと言ってきたんですね。その少し前に、たしか『アート・イン・アメリカ』誌(Art in America)に出た記事だったと思うのですが、そこでバーバラ・ルービンが1960年代アンダーグラウンド・シーンの知られざる女性として紹介されていて、それでこのフィルムに注目が集まったのです。少なくとも彼らはその記事を通じてルービンという興味深い人物を知り、[彼女の作品を]展覧会に加えたいと考えたんですね。問題は、それがインスタレーションではなかったことです。パフォーマンスだったのです。つまりループで発表されたことが一度もなかったんですね。それで、申し訳ないけど無理だと先方に伝えたのですが、それでも彼らは懇願を止めませんでした。そして私たちはなんとか妥協案に行き着いたのです。作品を展覧会に出すことはできるが、その際、必ずパフォーマンスとして見せなければならないというものです。それで彼らは、たしか1日に2回だけやることにしたんですね。午後12時と午後4時。それ以外のときに部屋にあるのは台座に乗った1台の映写機と壁のテキストだけ。何も起こりません。プレス用のプレビューでは、私がパフォーマンスを行いました。ひたすらやりつづけました。アンソロジーでも一度この作品をパフォームしたことがあるのですが、見に来ていたジョナス・メカスによれば、私のやり方は当時[1963年]と同じだったようです。私はフィルターを円すい状に丸めていたんです。フィルターをテープで貼るよりも、その方が動きがあるから。メカスいわく、昔もそうだったみたいですね。私はそんなことは知らず、退屈だったからそうしただけなのですが。彼らもきっと退屈だったんでしょうね。そして、ドイツ人の映写技師とスタッフにやり方を教えました。私が去ったあと、彼らは正しい方法で実施したのでしょうか?わかりませんが、彼らは熱心でしたし、インストラクションが手元にあったので、やるべきことはわかっていたはずです。このフィルムを[1960年代に]見ているとしたら、たとえばウォーホルのファクトリーの壁面だったかもしれませんね。あまりにも扇動的な内容なので、一般への公開はできませんでした。この作品が準規範的なステータスを得たのは、作者が死んでからのことです。内容的に、時期的なこともあり、公共の目に触れる作品ではなかったのです。それがいまや普通に見せることができるようになって、異なる歴史に組み込まれようとしているわけです。エクスパンデッド・シネマのはずが、いまではプロジェクション・アートとして。このふたつはカテゴリーとして別ですよね。空間のあり方として、歴史的な意味においてすらも、かけ離れています。この作品が[展覧会に]含まれること自体には問題を感じなかったのですが、それが常に「オン」でありつづけることには違和感がありました。私自身の作品ではないですし、単にアーカイバルな見地からの話ですが。何が言いたいのかというと、つまり私は、機械的な仕組みや展示室における呈示の仕方のことだけではなく、経験的な側面から、そしてオーディエンスの立場からもエクスパンデッド・シネマについて考えているのです。
ロス:とても興味深いお話です。もともとパフォーマンスとして呈示されたはずの作品が、幸か不幸か、いまではインスタレーションとして新たな生を得ているわけですね。《シネマティック・イリュミネーション》は、かつて一度、最初から最後まで発表された作品です。それは、私たちが語っているような意味で「インストール」されたものではなかったのです。それをインスタレーション作品にしても良いのかどうか、この点は議論になっています。もともとパフォーマンスだったわけですから。あるいは[その代わりに]いまおっしゃったような形で、パフォーマンスとして1日に2回[の発表]にすることですね。私たちも、こうした点については考えなければなりません。この種の作品のいくつかはイメージフォーラムが配給していて、数多くの[前衛]映画監督が彼らにリプレゼントされています。それらの作品はメディアの狭間、アートとフィルムの狭間にあり、しっかりとした形でアーカイブされていません。そうした作品を何らかの形でアーカイブすること、あるいは再呈示することは、どうすれば可能になるのか。そういう大きな問いがあるわけです。そして私たちが行き着いたのは、東京都写真美術館にアプローチして、展覧会という文脈で[《シネマティック・イリュミネーション》に関して]何かを行うことでした。だから、パフォーマンスのこと、インスタレーションのこと、そのほかの問題について、あなたの考えを聞けてよかったです。
ランパート:このことは、私がいまテイトとグリーン・ナフタリ・ギャラリー(Green Naftali Gallery)との間で取り組んでいるプロジェクトに繋がっています。それは、トニー・コンラッドのパフォーマンス《無限の平原上における10年の存命》(Ten Years Alive On the Infinite Plain)を作品として売ることです。この作品の購入のあり方について、テイトとトニーの間では話し合いが始まっていました。まだ本格的な議論にはなっていませんでしたが。そのなかでトニーは――両者の会話を録音していた人がいたのですが――「アンドリューなら力になってくれる。アンドリューなら対処できる。彼はこの作品のことをわかっている」と言ってくれていたのです。そんなわけで、トニーが亡くなっても会話は継続しているんです。
この作品の歴史としては、1972年が初演ですね。ニューヨークのザ・キッチンでした。4台の映写機があって、16mmのループ。3人のミュージシャンはトニー、リース・チャタム、ローリー・シュピーゲル。そしてスタイナ&ウッディ・ヴァスルカがビデオの映像をその場でフィードしていました。おそらくトニーの像を複数のモニターに映していたのでしょう。トニーはこの作品に含まれている要素のいくつかを、その後の2~3年でパフォームした可能性があります。でも本当のところはわかりません。彼にはありえないほど細かいCVがあるのですが、この作品が記載されているのは1972年の項だけです。複数の年に記載されている作品もあるのですが。そこから考えると、〔そのころ〕彼はこの作品を一度しかパフォームしなかったのでしょう。そして1990年代の中頃、1997年くらいに、彼はジム・オルークやデヴィッド・グラブスとともにシカゴでパフォーマンスを行っています。以前と同じ音楽と映写によるものです。それから、2004年にはドルトムントでマーク・ウェバーと、そして2005年にはここニューヨークで私、オルーク、そしてほか2~3人とパフォームしました。それからは2~3年ごとにやっていましたね。でも2007/2008年ごろ、彼は作品の呼び名を変えます。《10年の存命》ではなく《45年の存命》と呼んだのです。最初にパフォームされたときから経過した時間に関係しているわけですね。映写機の台数もミュージシャンの人数もそのつど変わるので、パフォーマンスのたびに新しいイテレーションになります。最後の実演はボローニャで、2013年くらいでしたね。テイトはこの作品を収蔵したいわけですが、問題は「何がこの作品なのか?」ということです。そもそも、この作品はインスタレーションではありません。トニーが生きていて、インスタレーションであると決めたら、まあ、アーティスト自身が決めたのだからインスタレーションになるでしょうけど。でもこの作品にはいろいろな連動があって、たとえばパフォーマンス中に、横に並んで隣接した4面の映写画面がゆっくりとひとつに合わさっていきます。その完了がパフォーマンス終了の合図なんです。上演の間ずっとフォーカスが変化しつづけるので、ありえないほど立体的な深度が生み出されます。映像自体は、垂直の線が背景の手前を動いているだけなので。
先ほどの問いに戻りましょう。何がこの作品なのか?この作品を規定するのは、ふたつの主要な要素です。ひとつは16mmフィルム。作品を手に入れるには、これを手に入れることが不可欠です。もちろん音楽も必要になります。このふたつが主要なコンポーネントなのです。ミュージシャンたちが操る楽器としては、トニーのバイオリン、もうひとりのバイオリン、ベース、そしてもうひとつはロング・ストリング・ドローン(Long String Drone)というトニーの自作による特別な楽器です。長い弦で出来ていて、演奏にはスライドバーを使います。ということで、私の見たところ、テイトが作品を収蔵するのなら、すべてのフィルム、そして実際に使われたロング・ストリング・ドローン、あるいはそのコピーを収蔵しなければなりません。この組み合わせが、作品の核を構成するマテリアルとなります。では、作品はどのように見せられるべきでしょうか?いろいろなバージョンがあるわけですが、私の心に浮かんだのは、そのすべてにおいてもっとも共通していたものは何か、彼がもっとも多く実行していたのはどんなことか[という問い]でした。彼がもっとも多く実行していたのは、4面の映写と4人のミュージシャンによるものです。彼の書き方に倣えば、ミュージシャンの構成としては、トニーが独奏者で、ほかのミュージシャンたちは伴奏者となります。トニーは、とても特徴のある、特殊なバイオリンの弾き方をしていました。彼のテクニックは本当に独特な、反伝統的なもので、ビブラートを使わなかったのです。弓を引く彼の動作は本当に一定で、直線的でした。そうなると、トニー・コンラッドの演奏スタイルを模倣する必要が出てきます。何人かでこの問題に取り組んでいたとき、1990年代のパフォーマンスでジム・オルークがトニーのバイオリンのパートを録音していたことがわかり、本人からコピーを提供してもらいました。そして編集を施しました。つまり、そこだけ取り出した形で録音されたトニーのバイオリンをスピーカーから流したうえで、その音にあわせて他のミュージシャンたちが演奏する、そんな方法を考えたのです。
テイトには素晴らしい規定があって、収蔵された作品は必ず1年以内に展示しなければなりません。ということで、2017年1月、《無限の平原上における10年の存命》がパフォーマンスとして実施されました。呼び名は《55年の存命》だったんじゃないかな。テイトはもともとの数え方を継続させたわけです。トニーはもう死んでいたので、そんなことしても理に適っていないと指摘しましたが、すでにタイトルは公表されていました。私たちがパフォームしたからといって、彼はもうこの世にいないので、数字が増えるのはおかしなことです。そこにあるのは《無限の平原上における10年の存命》なのですから。それこそがそこにあるマテリアルであり、それこそがそこにある音源なのです。それは、《55年の存命》ではなく《10年の存命》に由来しているのです。とにかく私たちはパフォーマンスを実行しました。私は映写を担当しました。会場は[テイトの]ザ・タンクスです。リース・チャタムは、ロング・ストリング・ドローンを使って当時のパフォーマンスを再現しました。初演からこのときまでの間に、彼はこの楽器を少なくとも一度は演奏していたようです。ふたりめのバイオリン奏者、そしてベース奏者もいたわけですが、ふたりとも実際にトニーと演奏した経験がありました。トニーと仕事をしたことがある人々を呼ぶことが重要だったんですね。彼らは、トニーによるトレーニングを何日か受けたことで、彼の音楽を演奏する方法、自分たちの楽器を彼のシステムに調和させる方法を身につけていますから。実際、彼らのうちのひとりは、キル・ユア・ティミッド・ノーション(Kill Your Timid Notion)という音楽祭で、この作品の以前のバージョンを2006年に演奏していました。つまり、誰もがトニーの作品に携わるベテランだったのです。そして私たちはパフォーマンスを実行しました。正直なところあまり期待していなかったけど、素晴らしかった。トニー本人は言うまでもなく不在でしたが、PAとのミックスが驚くほど効果的に機能していました。映写については、7~8年ぶりにやってみて、トニーがいなかったので悲しいことではあるけれど、これまで私がやったなかで最高の出来でした。テイトのタイム・ベースド・メディア部門による記録がありますよ。私たちが楽器を設営するところや、ループの仕組みについて説明するところも含めて、あらゆる場面が残されています。
パフォーマンスを行うため、この作品のネガをふたつ作りました。ひとつは収蔵に際してテイトの手に渡り、もうひとつはトニーの財団に保管される予定です。結局、彼らが具体的に何を手に入れるのかについては、いまだに検討中です。でも、その不可欠な一部として、特大の仕様書があるのは確かです。そこでは、この作品の歴史、そのすべてのイテレーションが網羅されていて、トニーのコラボレーターたちの名前も記載されています。私たちの目が黒いうちは、この作品の実演に際して、必ず彼らが招かれることになります。また、何が許容範囲の内にあり、何がその外にあるのか、そういったパラメーターの設定も明記してあります。そして彼らは、400フィートのリールをいくつか受け取ることになります。それに映っているフッテージはどれも同じで、パフォーマンスを何度やっても十分な量です。
テイトは、何らかの物体が床置きで展示されている状態を要求しています。単に一度きりのパフォーマンスではなくて。そうなると上の階で見せることになりますが、それはもはや《10年の存命》と呼ばれるトニー・コンラッドの作品とは違うものになる、そう伝えました。それは、アート部門ではなく、まるで教育部門の介在によって出来上がったものであるかのように見えるはずです。つまりそれは、《無限の平原上における10年の存命》に「由来する諸要素」ということになりますね。1本、あるいは2本のフィルムをループで流してもいいでしょう。以前のパフォーマンスの記録や音源があってもいいですね。1972年のオリジナルのパフォーマンスを記録した音源があって、とても質が高いんです。実は2~3ヶ月後にリリース予定なのですが。それを流すこともできます。ロング・ストリング・ドローンが展示室にあってもいいですし。とにかくいろいろと置けるわけですが、どれも基本的には教育的なツールですね。美術史を扱うミュージアムに置かれているようなもの。作品自体とは異なるものです。私たちは、ふさわしい部屋や空間のあり方を同定するべく、コレクションが紹介されている現状の展示室を視察しました。寸法を測り、仕様書に書き込むためです。照明の明るさや、音のこともそうです。トニーの音楽は大音量で流されるべきですからね。だとしたらどうすればいいのか。展示される空間の隣の部屋にあるのはマーク・ロスコの絵画か、あるいはキャロリー・シュネーマンの何らかのビデオか、そういったものかもしれないわけです。だから、ここにも同種の問題がありますね。あるタイプの空間に存在する何かを取り上げて、それを別のタイプの空間に置くこと。言い足すなら、展示をするかしないか、するならいつなのか。テイトにはテイト・モダン(Tate Modern)があり、テイト・リバプール(Tate Liverpool)があり、いくつかのサテライトがあり、他のミュージアムへの貸し出しも行っていますからね。とにかくこの作品、といってもパフォーマンスではなく「由来する諸要素」、いわばギャラリー・バージョンですが、それがもしも展示されたら、そのときは必ずライブ・パフォーマンスが付随されます。展示と同じ空間ではなく、非シアター的な、非ギャラリー的な別の空間において。それに際しては諸々のパラメーターがあります。特定の種類のPAなど、トニーが生前に要求していたすべてですね。ひとつの形態で見せるのなら、必ずもうひとつの形態でも見せなければならないというわけです。
だから、さきほどのスライド作品[《シネマティック・イリュミネーション》を指している]にあてはめて言えば、6ヶ月はデジタルの形で見せるのだとしても、ある1晩は実際のパフォーマンスに力を注ぐということです。会場は展覧会の現場ではなくオフサイト、きっと[東京の]スーパーデラックスとか、あるいは他の場所でしょうか。とにかくそれに力を注ぐのです。そうすることで、両方を経験することが可能になります。
ロス:[これまであなたは]トニー・コンラッドもそうですが、仕事をしたアーティストに亡くなられてしまう経験をしていますね。彼らの作品に関して、生前に尋ねておけばよかったと思う事柄はありますか?あるいは、単に彼らとの仕事の進め方でもいいのですが、作品を作者の死後も存在させるために、私たちは何を尋ねておくべきでしょうか?
ランパート:そうですね、私が会ったアーティストで、作品の変化を望まなかった人はひとりもいません。何らかの微調整を施すこと、たとえば5.1チャンネルにすることを望み、それこそが作品にふさわしいあり方だと以前から感じていた、そう主張するようなアーティストばかりです。だから、存命の高齢アーティストたちに関して私が何か言うとしたら、ユーモアを持って接するべしということですね。そのうえで「ダメです」と伝える。あるいは、あるアーティストとの間で実際にあったことですが、こう伝えます。私たちは新しいネガを作り、新しいプリントを作ります。そしてデジタル・コピー、高品質のデジタル・マスターも作ります。このマスターはあなたのものです。デジタルで何かやりたければ、それを使って自由にやってみてください。2015年バージョンを作るのもいいかもしれません。でも私は歴史を誤魔化すこと、あなたの変更を受けたものがもともとの作品なのだと誤解ささえることはできません。この作品は歴史的なものなのです。もう人目に触れてほしくないとお考えかもしれませんが、それでもこの状態で保存されます。常に人目に触れることになるわけではありませんよ。あくまでも記録のために、かつての姿のままにしておきましょう。
彼らに質問すべき内容に関しては、プロジェクトごとに違うでしょうね。必ずしも、作品を実行する方法に特化して尋ねなくてもいいでしょう。もちろん、方法論を固めるための質問はしたくなるわけですけど。でもむしろ大事なのは、何が許容され、何が許容されないのかということです。高齢のアーティストは、普通に考えて、自分がこの世から消えたあとも作品が人目に触れることを望んでいます。肝に命じてほしいのですが、あなた方は皆、いまや作品の番人なのです。あなた方はいまやそれを保護するのです。でも、それぞれに自分の仕事もありますよね。家族がいて、暮らしがある。あなた方もいつか70歳になるわけですし。そうなればきっと、40年前のようには、他の誰かの作品に取り組む意欲もなくなりますよね。でも、新しい人たちがこの作品をすぐに引き継ぐでしょう。アーティストと話すとき、たとえば皆さんがいま取り組んでいるスライド作品なら、各スライドのタイミングについて考えたくなりますよね。仮にデジタルで見せるとしましょう。それぞれはスクリーンにどのくらいの長さで映っているべきなのか?音は、サウンドトラックを使ってシミュレートするのか?その作品には、特定のパラメーターがいろいろあるはずです。外部の人々がこの作品を見せたいと望むこと、その際に彼らがいろいろな考えを持つことを事前に想定して、どのくらいの長さが許容範囲なのかを知っておく必要があります。そしてまた、アーティストが希望するのはどのような展開なのか、ということも。いずれにせよ、何が起こることを望み、何が起こることを望まないのか、それを記録しておくことです。将来的に破られるのだとしても。彼らは自分の作品を見せる場所として、特定の場所や空間を求めているのか?作品を見せたくない文脈はあるのか、たとえばフェスティバルは嫌だとか、ギャラリーには置きたくないとか?そのようなさまざまな細部を記録し、文書に残そうと試みること、それが私にとって何よりも大事なことです。つまるところ、作品に何らかの変化を生起させるとき、それはどの程度まで許されるのでしょうか?
翻訳:奥村雄樹